

平屋建て2LDKの「セゾンFタイプ」にお住まいの我妻様ご夫妻。以前は酒屋さんを営んでいらっしゃいましたが、東日本大震災で自宅兼店舗を津波で流され、後には何も残らなかったそうです。安心して住める地盤の固い高台に家を建てて暮らし始めるまで、そして現在の状況をお聞きしました。
― 震災後は、どうされていたんですか?

周囲からは、「気持ちの切り替えが早い」と驚かれました(笑)。ただ、夫婦ふたりだけですし、私の兄弟たちも「(前の土地や家は)もうあきらめた方がいい」と、背中を押してくれたので、決心がついたんです。

― 「一条工務店仙台」に決めたわけとは?

住宅展示場へ行って何気なく駐車したのが、「一条工務店仙台」の前だったんです。外観やインテリアを見て、高級感やグレードの高さが気に入って、最初でほとんど決めていました。実はその後も、他の家をあまり見ていないんですよ。

家全体に、インパクトがあったんです。断熱材の厚さや柱の太さを実際に見せてもらって、耐久性や耐震性にすぐれていることもよくわかりました。白アリで苦労した経験があるので、防腐防蟻処理をしてくれるというのも安心でしたね。材料も吟味されていて、先々メンテナンスがほとんど必要ないことも魅力でした。

― 家づくりでは、どんなところがポイントだったのでしょうか?

震災後、時間はいくらでもあったので、どんな家にしようかと二人でずっと考えていたんです。夫婦だけですから、先はあと20年くらいだろうと(笑)。必要最低限の物があって、年をとっても安心して住める場所にしたかったんですね。ですから平屋で、すべてバリアフリー。夜トイレに行くことが増えるでしょうから、トイレと寝室はそばにして、家全体が暖かくなるように床暖房で。動線にも無駄がないように考えてもらいました。いずれ必要と思われる所には手すりを付けて、玄関から門にかけてもスロープと手すりをつくりました。

前の家は、キッチンが狭かったので、広いキッチンが希望だったので背面式にしました。震災の経験から、エネルギーはあえて電気、ガス、石油の三本立てにしています。ただレンジはIH対応にしたので、あと10年たったら電気にしてもいいかなと思っています。本当は、もうひと部屋、夫の書斎が欲しかったんですけど、営業の岡内さんから必要ないんじゃないかと言われて、予算の関係もあってやめたんですよ(笑)。

― 営業マンとの関係はいかがでしたか?

最初に応対してくれたのが、運良く岡内さんだったんです。銀行の手配から何から、こんなことまでやってくれるの?というくらい、よく動いていただきました。

こちらの懐具合をわかっているので、そこを配慮しつつ、なるべく希望がかなうようにしてくれて、本当に感謝しています。入居後も長いおつきあいになりますから、気さくに話せる方で良かったですよ。

― 実際に暮らしてみて、住み心地はいかがですか?

想像していた以上に快適です。床暖房は本当に暖かくて、年をとると家の中に温度差があるとよくないといいますけど、お風呂もトイレも家中が暖かいですからね。夜でも安心です。そして、天井が2m65cmと高いので開放感があります。南に面したリビングのベイウインドウ(出窓)のおかげで部屋が明るくて、しゃれているし、とても気に入っています。昼間は電気をつかなくても、この明るさですから。

キッチンは、明るくて広くて、とても使いやすいんですよ。岡内さんにすすめられて、キッチンとリビングの間にロールスクリーンをつけたんですけど、これは正解でした。仕切りをつけたら、オープンな感じがなくなってしまったでしょうし、これならお客様が見えたときにキッチンで作業をしていても、隠すことができます。

― 家づくりを考えている方たちへ、アドバイスをお願いします。

自分たちがこれからどんな生活を送りたいのか、先々のライフスタイルまで考えておくといいと思いますよ。20代・30代の人なら、50代になったときにどんな生活をしているのか、まで考えた方がいい。後から変えようと思っても、なかなか難しいですから。

営業の人には、自分たちの希望はどんどん言った方がいいですよ。なるべくかなえようと、いろんな案を出してくれます。私たちは、今回は何もないどころか、マイナスからのスタートでしたが、限られた予算の中で、これだけ素敵な家を建てることができました。震災後、無我夢中でここまで進んできましたが、これからは少しずつ自分たちの楽しみも見つけていきたいと思っています。
震災直後は、近くに住む息子家族の家にいましたが、その後アパートを見つけて、家が建つまでそこにいました。震災から一カ月ちょっとたった4月には今の土地を購入して、6月には住宅展示場に行っていましたね。動き出すのが早かったんです。